Dr.やまけんの【いつまでも健康に過ごすために大切なこと】

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号外【免疫学史上最大の謎??に挑む】「サプレッサーT細胞」は何処へ消えた?

今回は、健康の話でも病気の話でも御座いませんので、悪しからずご了承のほどを。

 

でも、免疫学に関心のある方の中には、同じ疑問を持たれている方もいらっしゃるかもしれません。

そんな疑問について、勝手に迫ります(笑)

 

目次:

① サプレッサーT細胞は何処へ消えたのか?

② サプレッサーT細胞には発見者がいた!

③ 細胞マーカー分子とは?

④ 引導は分子生物学者によって渡された!

⑤ 坂口志文(しもん)の登場

⑥ なぜ、「制御性(regulatory)T細胞」と名付けられたのか?

⑦ 「サプレッサーT細胞」という呼称を今でも使う人

 

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① サプレッサーT細胞は何処へ消えたのか?

 

これまでの私の記事の中で、皆様に最もたくさん読んで頂いているのが【017】の「自己免疫疾患と制御性T細胞」です。

制御性T細胞について、こんなにも多くの人が高い関心を持たれていることを知ることができましたし、大変な励みになりました。

皆さま、本当にありがとう御座います。

takyamamoto.hatenablog.com

 

この記事を投稿した後、ある方から、「昔、『サプレッサーT細胞』というのがありましたが、『制御性T細胞』に名前変わったんですか?」というご質問を頂きました。

 

1983年だったと思います。私が大学生だったときに読んだ本(講談社ブルーバックス)には、「T細胞には、ヘルパーT細胞とキラーT細胞とサプレッサーT細胞とがある」と書かれていました。

その本には、確かに、「サプレッサーT細胞はある」と明記されていたのです。

実は、その本を読んだその当時の時点で、既にサプレッサーT細胞の存在が否定されていたことを、私は全く知る由もありませんでした。

その時以来、20年近くにもわたって、「サプレッサーT細胞はある」と信じ込んでいたのです。

(それまでの私は、免疫学は専門ではありませんでしたので)

 

で、気が付いたのは、わが国の免疫学の世界では、サプレッサーT細胞の話題に触れることが、あたかもタブーであるかのように、誰もサプレッサーT細胞の話をしない雰囲気があることでした。

早くも1960年代に、洞察力に優れた免疫学者によって、「免疫を抑える細胞」の存在が予言され、サプレッサーT細胞は否定されたとは言え、1995年の制御性T細胞の発見によって、その予言が正しかったことが見事に証明されたにも関わらずです!

なんでなのか??

 

どういういきさつでサプレッサーT細胞は消え去ったのか?

質問を頂いたことをきっかけに調べてみました。

 

② サプレッサーT細胞には発見者がいた!

 

サプレッサーT細胞の発見者は、当時、千葉大学教授だった多田富雄先生だとされているようです。1971年の事です。

 

60年代から「免疫現象は、免疫を抑制(suppress)する細胞の存在を仮定しないと説明できない」と考える人たちがいました。その先端を走っていたのが多田先生であったようです。

多田先生が、どんな証拠に基づいてサプレッサーT細胞を発見したと言われたのかはよく分かりません。

 

当時の定義によれば、サプレッサーT細胞の最も重要な特徴は、I‐Jと呼ばれるタンパク質が細胞に発現していたことです。

言い換えると、I‐Jタンパク質はサプレッサーT細胞の目印と言えます。

つまり、サプレッサーT細胞であればI‐Jタンパク質を発現しているし、逆にI‐Jタンパク質を発現している細胞はサプレッサーT細胞だと言えるとされていたのです。

 

③ 細胞マーカー分子とは?

 

先ほど、I‐Jというタンパク質は、サプレッサーT細胞の目印だと言いました。

このように、ある細胞の特徴を表す目印となるタンパク質、言い換えると、その細胞がどんな種類の細胞であるのかを決定するのに使われるタンパク質を、「細胞マーカー分子(単に「マーカー分子」とも)」と言います。

 

免疫細胞のうち、T細胞の最も重要なマーカー分子に、「CD4」「CD8」と呼ばれるタンパク質があります。

例外もありますが、ほとんどのT細胞は、CD4を発現する「CD4陽性T細胞」とCD8を発現する「CD8陽性T細胞」の2つに分類されます。

 

T細胞は、現在では大きく「キラーT細胞」、「ヘルパーT細胞」、「制御性T細胞」の3つに分類されますが、キラーT細胞はCD8陽性細胞(CD8を発現する細胞)であり、ヘルパーT細胞と制御性T細胞はCD4陽性細胞(CD4を発現する細胞)なのです。

 

そして、ここが重要なのですが、当時、「サプレッサーT細胞」は「CD8陽性細胞」、すなわち、キラーT細胞のお仲間だと信じられていたのです。

 

④ 引導は分子生物学者によって渡された!

 

1970年代後半には、多田先生が発見したとされる「CD8陽性/I‐J陽性」のサプレッサーT細胞の遺伝子の働きや、免疫を抑える仕組みの研究が、世界中の研究者によって競うように行われたようです。

その研究には、免疫学者だけでなく、遺伝子やタンパク質の構造や機能を研究する、いわゆる「分子生物学者」たちも参入してきたのです。

 

そして1981年、私には詳しいことは分かりませんが、ついに、I‐Jタンパク質は、遺伝子的にサプレッサーT細胞の「分子マーカーではあり得ない」ことが、分子生物学者によって決定的にされたそうです。

 

その後、免疫学者たちの「サプレッサー熱」は急速に冷めていき、また、多くの研究者が落胆したのです。

「あぁ、免疫を抑える細胞の存在を信じていた俺たちは間違っていたのだろうか?」

「あの熱く燃え上がった情熱を研究に注ぎこんだ日々は何だったのか?」

 

⑤ 坂口志文(しもん)の登場

 

現、大阪大学教授の坂口志文先生は、その後も免疫を抑える免疫細胞の存在を信じていました。

多くの免疫学者が、免疫を抑える免疫細胞の探究から去っていく中でです。

80年代から既に、志文先生は、「CD8陽性細胞」に囚われず、一から免疫を抑える細胞の探索を行っていたようです。

 

そしてついに、免疫を抑える細胞の発見に至るのですが、それはなんと「CD8陽性細胞」ではなく、「CD4陽性細胞」だったのです。

 

80年代の多くの研究者が、免疫を抑える細胞は「CD8陽性細胞」だという先入観に囚われて、疑うことすら知りませんでした。

このことは、かつてサプレッサーT細胞の研究に打ち込んでいた研究者にとっては、非常に大きな失策のように思われたのかもしれません。

一方、志文先生は、過去の先入観を完全に捨て去っていたのですね。

 

⑥ なぜ、「制御性(regulatory)T細胞」と名付けられたのか?

 

本ブログ【017】でお話しした通り、制御性T細胞は、「自己免疫反応を示す細胞を抑制する細胞」として発見されました。

「抑制」する者とは、英語でまさしく「suppresor」です。

ですが、「サプレッサー(suppresor)T細胞」ではなく、「制御性(regulatory)T細胞」と名付けられました。

何故なのか?

 

志文先生は、阪大のご自身のホームページの中で、制御性T細胞が自己免疫反応を抑える働きを、「抑制」ではなく「調整作用」と表現しています。

www.osaka-u.ac.jp

 

「Regulatory」とは、「制御性」とか「調整的な」とか「調節の」という意味です。

なので、「制御性(regulatory)T細胞」と名付けられたのでしょう。

 

でも、こんな邪推をすると叱られるかもしれませんが、敢えて「サップレッサーT細胞」の呼称を避けたのかもしれません。

しかし、その真実の事情については、私などの知るところではありません。

 

⑦ 「サプレッサーT細胞」という呼称を今でも使う人

 

「サプレッサーT細胞」という呼称は、当時、多田先生が海外の研究者仲間2人とワイガヤで話し合って決めたそうです。

つまり、多田先生は、名付け親の一人なのです。

 

1960年代の時点で既に、免疫を抑える免疫細胞の存在を予言していた点で、多田先生の功績は大きいと言えます。

ところが、1981年にサプレッサーT細胞の存在が分子生物学者によって完全否定されたことにより、多くの免疫学者たちは面目を失ったのでしょう。

そして、わが国でそのフロントランナーであった多田先生も、その後、非常に辛い目に会われたようです。

多田先生は、ご自身の手記の中で、「ある国際学術雑誌のなかで、『それでも地球は動く』という論説を書いた」と記しています。

ご存知の通り、「地動説」を唱えて、異端審問で追及されたときのガリレオの有名な言葉です。

 

そんな多田先生の胸中を思ってか、当時のわが国の免疫学者たちは、「サプレッサーT細胞」という言葉を使わなくなったのではないでしょうか。

それが今日にまで続いているように思えます。

 

また逆に、当時、多田先生のお弟子さんとしてサプレッサーT細胞の研究に情熱を燃やしていた人などは、当時の「熱き探究の日々」を懐かしむかの如く、制御性T細胞の事を「CD4陽性/CD25陽性サプレッサーT細胞」などと呼ぶのです。

(CD25は、制御性T細胞の主要な分子マーカーです)

JSI Newsletter Vol11 No1. p7

サプレッサーT細胞は「CD8陽性」やっ、ちゅうねん(笑)

 

本ブログ【041】と【042】の「がん遺伝子発見物語」でも、科学の舞台の裏側で繰り広げられる研究者たちの人間物語についてお話しましたが、偉大な科学の発展は、研究者たちの苦悩と葛藤、栄光と挫折に支えられているのですね。

takyamamoto.hatenablog.com

 

 

今回も最後までお読み頂き、ありがとう御座います。

 

本記事の真偽の程について、正しい情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともお教え頂きたく思います。

 

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