細胞増殖の制御に重要な働きをする「がん原遺伝子」。
私たちが生きる上で無くてはならない重要な遺伝子です。
でも、これは変異を起こすことでガンを引き起こす「がん遺伝子」に豹変します。
がん原遺伝子は、私たちの細胞にとって、いわば、両刃の剣と言えます。
このがん遺伝子とがん原遺伝子の発見には、非常にドラマチックなストーリーがあり、私は色々と考えさせてくれるこの真実の物語が大好きなのです。
皆さんにも共感して頂けるかどうかは分からないのですが、今回と次回の2回に分けて、がん遺伝子発見物語の語り部をさせて頂きます。
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天才的な才能よりも、常人にないような鋭い洞察力と直感力を持った人が偉大な発見・発明をすることが多いようです。
中には、あまりにも洞察力に優れ、あまりにも時代を先取りし過ぎていたがために、人から理解されず、評価されないばかりか、世の中の笑いものになった人すらいます。
ドイツ人のヴェーゲナーという気象学者。
ある時、世界地図を見ていて、北アメリカ大陸とヨーロッパ大陸、南アメリカ大陸とアフリカ大陸とがジグソーパズルのピースのようにピッタリつながることに気が付きました。
1912年、よせばいいのに、彼はドイツの地質学会で「大陸移動説」を発表します。
これが、時代の先を行き過ぎた彼の悲劇の始まりです。
彼の優れた洞察力と直感に基づいたこの説には、ほとんど科学的根拠がありませんでした。
陸地の形が合うという状況証拠だけでは、大陸同士がつながっていたという証明にはなりません。
だいたい、これだけ大陸を移動させた、とてつもなく巨大なエネルギーの源について説明できる人なんて、当時は誰もいませんでした。
彼は、自分の説の正しさを証明しようと、残りの人生をかけて調査・研究に打ち込みました。
そんな彼を、人は変人扱いし、笑っていました。
1930年、ヴェーゲナーは地質調査先のグリーンランドで、50歳の若さで失意のうちに亡くなりました。
恐らく過労による心臓発作であったろうとウィキには書かれています。
当時、人類はまだ、彼の説を証明するだけの知識も科学技術も持ち合わせていませんでした。
しかし今では、この「大陸移動説」を疑う人は誰もいません。
何の話でしたっけ??
あぁ、がん遺伝子でしたね。
20世紀の中頃まで、ほとんどの人がガンと遺伝子との間に関係があるなんて、思いもしていませんでした。
今では、ガンが遺伝子の変異や異常によって引き起こされる病気であることは明白です。
ウイルスによってもガンになります。
このことに初めて気が付いたのは誰で、いつのことなのでしょう?
米国の病理学者のフランシス・ペイトン・ラウスという人。
彼はニワトリのガンについて研究していました。
ニワトリのサルコーマ(肉腫;筋肉や骨にできるガンです)の細胞の抽出液を別のニワトリに接種すると、やはりサルコーマになることを見出したのです。
その細胞の抽出液を素焼きの陶器で濾過してもガンになります。
ということは、ガンを引き起こすのは、陶器を通り抜けることのできる、細菌よりも小さなもの、ということになります。
1911年、奇しくもヴェーゲナーの「大陸移動説」発表の前年、ラウスは「ウイルス発がん説」を発表します。
ところがギッチョン、彼もまた世界中の研究者のもの笑いになってしまいました。
「ウイルスでガンやて? おまえはアホか!?」
しかし、ラウス先生は、腐ることなく病理学の分野で研究活動を続け、色々と大きな業績を上げられました。
Francis Peyton Rous (1879-1970)
時は流れて1958年、米国のハワード・マーティン・テミン(1975年ノーベル生理学・医学賞受賞)という遺伝学者が、このウイルスが試験管内でニワトリの胎児の細胞をガン化することを発見しました。
「発見」というより、ラウスの発見の「再発見」というべきですね。
しかし、この時点ではウイルスのどういう働きによって宿主の細胞がガン化するのかまでは解明されていません。
そこで、多くの研究者が、このウイルスの遺伝子の機能解析の研究に殺到しました。
そして遂に、ニワトリの細胞をガン化する働きを持つウイルスの遺伝子が特定されたのです。
これが世界初の「がん遺伝子」の発見です。
ちなみに、初のがん遺伝子を発見したのは、後編で詳しく述べる米国のビショップとヴァーマスです。
皆から嘲笑を買い、忘れ去られていた「ウイルス発がん説」ですが、50年もの時を経て、こうして正しいことが証明されたのです。
このウイルスのがん遺伝子、ニワトリにサルコーマ(sarcoma)を発生させる遺伝子ということで、src(「サーク」と読みます)遺伝子と名付けられました。
また、これまで半世紀もの長きにわたって名無しの権兵衛だったこのウイルス。
生命科学に偉大な進歩をもたらしたウイルスが、このまま権兵衛という訳にはいきません。
このウイルス、50年も先を見通していた偉大な科学者に最大の敬意を表し、晴れて「ラウス肉腫ウイルス」と命名されたのです。
1966年、ラウスはノーベル生理学・医学賞を受賞します。
87歳での受賞は、当時の最高齢記録です。
受賞対象の研究発表から55年というのは、現在でも最長記録です。
ラウスは、ノーベル賞受賞の4年後、1970年に亡くなっています。
ヴェーゲナーと違い、存命中にノーベル賞という科学者にとって最高の栄誉をもって賞賛されたラウス。
正しい仕事は必ず評価される。
ラウス先生は、なんか失敗したり、落ち込むことがあっても、己を信じることの大切さを教えてくれているように思えるのです。
次回予告:
ラウスの偉大な発見は、多くのノーベル賞受賞者を「芋づる式」に生み出しました。
ラウス肉腫ウイルスがニワトリ細胞をガン化させることを再発見したテミン。後年、彼はさらに、このRNAウイルスが、それまでの生物学の常識では考えられないような遺伝子を持っていることを発見します。
そしていよいよ、私たち自身の細胞の中に在る両刃の剣、「がん原遺伝子」の発見に至ります。
今回も最後までお読み頂き、ありがとう御座います。
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