目次:
① ラウスの本当の偉大さ
② 「セントラル・ドグマ」ってなんですか?
③ 「逆があった!」
④ がん原遺伝子の発見!
⑤ 偉大な科学の進歩には「源流」がある
前回【041】は、お陰様で好評です。
この続編で皆様のご期待に応えられるのか、すっごく不安なんですけど。。。(笑)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡
① ラウスの本当の偉大さ
半世紀もの時を経て、「道化師」から歴史に名を刻む「偉大な科学者」となったフランシス・ペイトン・ラウス。
ラウスが「道化」でないことを証明したのは米国のハワード・マーティン・テミンです。
テミンは、これをきっかけにラウス肉腫ウイルスの研究に没頭していきます。
また、このことが、「絶対」だと信じられていた生物学の「中心教義」を覆すような偉大な発見につながっていきます。
ラウスの業績は、テミンをはじめ、後に多くのノーベル賞受賞者を芋づる式に輩出することとなります。
つまりラウスは、がん遺伝子研究という大本流の源泉となったのです。彼の方が近代生命科学に与えた影響は計り知れません。
② 「セントラル・ドグマ」ってなんですか?
20世紀の生物学史上、最大の発見と言われるDNAの二重らせん構造モデル。
1953年に、ワトソンとクリックによってこのモデルが提唱される以前は、まだDNAが遺伝子の本体であるということは明らかではありませんでした。
驚くことに、タンパク質こそが遺伝子だと考える研究者の方が多く、ワトソンとクリックのように、DNAが遺伝子だと見ていた研究者の方がむしろ少数派でした。
その後、クリックは、遺伝暗号であるDNAの塩基配列の謎を次々と解明していきました。
それらの研究を重ねる中で、彼にはある確信が芽生えていたのです。
生命現象の中心的な教義とも言える絶対法則です。
DNAにはタンパク質のアミノ酸配列の情報が、4種類の塩基の並びの組み合わせで記録されています。
酵素がその配列を読み取り、一旦、DNAの配列をRNA、正確にはメッセンジャーRNA(mRNA)に写し取ります。
mRNAの配列は、正確にDNAの配列情報を写し取っています。
このmRNAの配列が更に読み取られて、タンパク質が作られます。
「DNA ⇒ mRNA ⇒ タンパク質」
1958年、フランシス・クリックは、この流れは絶対的な「中心教義(セントラル・ドグマ)」であると提唱しました。
この逆はあり得ないと!
多くの研究者がこの考えを受け入れました。
まぁ、偉大なクリックの言うことでもあるし。。。彼と面と向かって議論するのはしちめんど臭いし。。。(笑)
③ 「逆があった!」
ラウス肉腫ウイルスはRNAウイルスです。
RNAウイルスが細胞に感染した後、どのように振る舞うのかというと、セントラル・ドグマに従えば、ウイルスのRNAから直接タンパク質が読み取られることになります。
RNAはDNAに比べると、細胞内ではずっと不安定です。
そして、がんウイルスが感染したからと言って、細胞がガン化するには、それなりの時間が必要です。
そんな長い間、ウイルスのRNAが細胞内で安定して活動を続けられるというのは、少し不自然なようにも思えます。
「ウイルスのRNAからDNAができていると考える方が自然じゃないのか?」
テミンは1964年頃から、そのようなことを考えていたようです。
しかし、そんなこと、うかつに大っぴらには言えません。
今度は自分が「道化師」になってしまいます。
1970年、テミンは日本人研究者・水谷哲とともに、ラウス肉腫ウイルスがもつ、常識はずれの酵素を発見します。
DNAからmRNAが写し取られることを「転写」と言いますが、なんと、テミンと水谷はウイルスのRNAから塩基配列を写し取ってDNAに逆に転写する酵素を発見したのです。
テミンの洞察力は正しかったのですね。
賢明にも彼は、道化にならずに済みました。
こうして「セントラル・ドグマ」は崩れました!
生物学の教科書を書き換えなければなりません。
しかし、偉大な、あの「フランシス・クリックが間違っていた」と書き直さなければならないのですから、教科書の編集者には気の重かったことでしょう(笑)
そんな話はいいとして、この「逆転写酵素」を利用することにより、不安定で扱いにくいRNAを安定なDNAに転換できるようになりました。
この逆転写の技術によって、その後のRNA研究は飛躍的に進歩することになったのです。
特に、RNAウイルスであるHIVやC型肝炎ウイルスの研究に、この逆転写酵素は多大な貢献をしたのです。
私も逆転写酵素さまには大変お世話になりました(笑)
テミン先生、ありがとうございます😊
1975年、テミンは「逆転写酵素発見」の業績により、ノーベル生理学・医学賞を受賞します。
因みに、ほとんどの実験を行ったのは水谷でしたが、彼は受賞を逃しました。
やはり、大事なのは、固定観念にとらわれない着想なのですね。
④ がん原遺伝子の発見
史上初めて発見されたがん遺伝子、ラウス肉腫ウイルスのsrc遺伝子。
Srcタンパク質の構造
1979年、前編でも触れた米国のジョン・マイケル・ビショップとハロルド・ヴァーマスは、ニワトリのゲノム、すなわち、ニワトリ自身の細胞の中に、このsrc遺伝子の配列に非常によく似たものを見つけました。
なんで、細胞のゲノムにウイルスのがん遺伝子が存在するのか?
そうなると当然、「じゃあ、ヒトはどうなのか?」となります。
果たして、我々ヒトの細胞にもsrcによく似た配列の遺伝子が見つかったのです。
ウイルスのがん遺伝子に酷似した遺伝子!
なんでこんな危険なもんを我々は持ってなあかんのんや!?
当然の疑問です。
じゃあ、他の動物ではどうなのか?
調べてみると、出るわ出るわ!
脊椎動物から無脊椎動物に至るまで、ほとんどの動物が、当たり前のように、元からsrcを持っているじゃぁあ~りませんか!!
そして、この遺伝子が変異を起こすと、ラウス肉腫ウイルスのsrcのような発がん性を獲得するのだということが分かりました。
元々は細胞の増殖制御に重要な働きをしているのですが、一旦故障するとがん遺伝子となり、暴走を始める。
がん遺伝子の原型遺伝子ということで、我々の細胞が持つがん遺伝子に似たものは「がん原遺伝子」と呼ばれるようになったのです。
命名したのはビショップでした。
こういう訳で、src遺伝子は動物界に広く存在するありふれた遺伝子だったのです。
そして、かつてウイルスが宿主細胞からこの遺伝子を獲得して、独自の進化を果たした結果、がんウイルスになったのだということも分かりました。
これを証明したのは日本人研究者の花房秀三郎です。
つまり、がんウイルスなるものを生み出したのは、他ならぬ私たち自身だということです。
1989年、「ウイルスのがん遺伝子は細胞由来である」ことの発見で、ビショップとヴァーマスはノーベル生理学・医学賞を受賞します。
花房は受賞を逃しましたが、大きな貢献をしました。
⑤ 偉大な科学の進歩には「源流」がある
ラウス肉腫ウイルスにまつわる、これら偉大な業績の数々。
ラウスの人並み外れた洞察力にその源流があります。
近年ではiPS細胞。
誰からも「そんなことできる訳がない」と言われ、研究費の獲得に相当の苦労をされたと言いますが、山中先生の執念が実り、現在、医療への実用化に向けた努力が山中先生ご自身をはじめ、世界中の研究者によって進められています。
山中先生の着想を源流としたこの偉大な流れが、どういう成果を生み出すのか?
見守っていきたいと思います。
今回も最後までお読み頂き、ありがとう御座います。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡
是非、お読みになったご感想やご意見、ご批判をコメントでお寄せ下さい。
大変励みになります。