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号外【DNA二重らせん構造発見物語】盗んだデータでノーベル賞!?

目次:

  1. ワトソン博士はバードウォッチャー

  2. DNAの構造を解明するには、どうすればいい?

  3. ウィルキンスとの出会い

  4. ウィルキンスの悩み

  5. 決め手になったデータは盗んだもの!?

  6. 果てしのない模型いじり

  7. そしてノーベル賞

  8. ロージィとウィルキンスとノーベル賞

  9. 誰か一人が欠けても100年に一度の大発見はなかった!

 

「ウイルス発がん説」、「がん遺伝子」、「逆転写酵素」、「iPS細胞」、「遺伝子増幅技術PCR法」と、ノーベル賞の中でも特に生命科学の常識を一変させたような偉業の裏に、泥臭い人間物語があったことを、このブログでも何度となく紹介して来ました。

 

takyamamoto.hatenablog.com

50年先を行っていた男!「ウイルス発がん説とがん遺伝子の発見」

 

takyamamoto.hatenablog.com

偉大なるフランシス・クリックの敗北!「逆転写酵素の発見」

 

takyamamoto.hatenablog.com

山中先生の苦闘!「iPS細胞」

 

takyamamoto.hatenablog.com

カノジョとのドライブからノーベル賞!?「遺伝子増幅技術PCR法の発明」

 

さて今回は、20世紀の生命科学史上最大の発見、DNAの「二重らせん構造モデル」。

その息を呑むようなあまりの美しさに魅せられ、本ブログのカバー写真には、このモデルを描いたイラストを使わせて頂いています。

 

米国のジェームズ・ワトソン博士と英国のフランシス・クリック博士が、Natureで論文発表したのが1953年。

その業績により、ワトソンとクリックは1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。

 

この二人に加えてもう一人、同賞を共同受賞した研究者がいたのをご存知でしょうか。

英国のモーリス・ウィルキンス博士です。

でも、ワトソンとクリックの伝説的な偉業に比べると、ウィルキンスのことについては、あまり一般的には知られていないようです。

 

ワトソンは後年、彼自身の記憶と記録(恩師や両親に送った手紙など)を頼りに、この偉大な発見に至るまでの数年間の経緯を回想録に書き記して出版しています。(この本は世界的なベストセラーとなりました)

この著書によると、3人のこの業績の陰には、やはり研究者同士の誠に泥臭い人間物語があったのです。

 

この著書で驚かされたことのひとつは、どうやらワトソンとクリックが二重らせん構造モデルに行き着くに当たって、彼ら自身は何らの実験データも得ていなかったらしいことです。

そして極め付け! 中でも驚きのエピソードは、二人をらせん構造に導いた決定的なデータを、他人から「盗んだ!」とワトソン自身が告白していることなのです。

 

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ワトソンの著書「The Double Helix」(左)と邦訳本「二重らせん」(右)

 

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1.ワトソン博士はバードウォッチャー

 

ジェームズ・ワトソン博士はシカゴ生まれの米国人。

22歳の若さで博士号を取得した秀才です。

いまでこそ、分子生物学の伝説的巨人ですが、もともと彼は鳥類学者でした。

秀才ではありましたが、論理的思考はそれほど得意ではなく、数学も物理も化学も苦手。

彼がいかに化学の劣等生であったのかは、化学実験で何度か爆発事故を起こしたエピソードを著書の中で自慢げに(笑)披露していることからもうかがえます。

そんな彼のことを、相棒のクリックは、親愛の念をこめて「バードウォッチャー」と揶揄していました。

 

一方のクリックは物理屋さんで、戦時中は英国海軍で機雷などの兵器の開発に従事していました。

彼は数学に強い理論派で、秀才と言うよりは、天才肌の人でした。

当時、生物に関心を抱く物理学者は多く、クリックもその一人でした。

終戦後、彼は得意な物理学の手法で生命現象を解明したいと考えていたのでした。

天才的でありながら、戦争もあって、まだ博士号も取れていなかったのですが、それには彼の特異な性格も原因していました。

 

そんな二人が出会ったのは、ワトソンが留学してきた英国のケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でした。

1951年の秋、ワトソン23歳、クリック35歳。

このひとまわりも歳の違う米国人と英国人の二人は、なぜだか妙に気が合い、DNAこそが遺伝物質であり、構造が解明できれば、そのことを確実に証明できるという考えを同じくしていることをお互いに知り、意気投合したのでした。

 

2.DNAの構造を解明するには、どうすればいい?

 

ハイ、この第2章は少しばかり技術的な話ですので、興味のない方は次の第3章まで読み飛ばしていただいて結構です。

実際、私も、この第2章には全然興味も御座いません(笑)

冗談ですよ。是非、お付き合いください(^^)

 

私、この分野は全く皆目解らないのですが、DNAやタンパク質などの巨大分子の構造を決定する方法として、X線回折法というのがあります。

まずは、構造決定したい物質の純度を上げて、結晶を作らせなければなりません。

この結晶化が難しく、ワトソンたちも相当苦労しました。

 

さて、苦労の末、質の高い結晶が出来たとします。

結晶の中では、単一の物質が規則正しく配列しているため、X線を当てると構造に応じて特定の方向にX線が進路を変えて進みます(回折現象)。

後ろにフィルムを置いておくと、回折したX線がこれを感光させ、その物質の構造に特有の模様をフィルム上に描きます。

ところが、この模様が物質のどういう構造を反映しているのか?回折像の解析が物凄く難しいようなのです。

これには物理と数学の知識が必須です。

いい写真が撮れても、にわかに構造が分かる訳ではありません。

これほどまでに、結晶のX線回折による構造決定は「修羅の道」なのです。

 

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X線回折の原理(ウィキペディアから拝借)

 

当時、キャベンディッシュ研究所の所長を務めていたのは、X線回折による構造解析の基礎理論を確立したノーベル賞受賞者、ローレンス・ブラッグ卿でした。

さらに同研究所には、ワトソン、クリックと同じ1962年に、X線回折によるヘモグロビン蛋白の構造決定によりノーベル化学賞を受賞することになる、ジョン・ケンドルーとマックス・ペルツもいたのです。

キャベンディッシュ研究所にX線回折の世界的権威がこれだけ一堂に会していたとは、当時、世界中の他のいかなる場所にもなかったことでしょう。

ワトソンがDNAの構造決定を目的に、留学先にキャベンディッシュを選んだのは、誠に賢明だったと言うしかありません。

この人たちの援助を受けて、きっとDNAの構造決定もサクサク進んだに違いありません。

 

3.ウィルキンスとの出会い

 

ところがどっこい、うさぎさん。事はそう甘くは運びませんでした。

 

相棒のクリックは気難しいお天気屋。

数週間、実験に集中したかと思うと、次の数週間はまったく実験台に向かわず、論部読みに没頭し、思索にふけるという風でした。

それで新しいアイデアなんかを思いつくと、そのアイデアがいかに素晴らしいかを大声で研究所中に吹聴してまわり、皆を辟易させる天賦の才の持ち主だったのです。

頼りになる時は、めっぽう頼りになる。

しかし、ウザい時は、所長のブラッグ卿ですら所長室から姿をくらますくらいにウザったい。

 

一方のバードウォッチャーはというと、物理も数学もからっきしダメときたもんだ。

独学でX線回折を勉強したりしましたが、全然身につかず、関連の学会に参加しても、発表内容がチンプンカンプンだったと、著書の中で告白しています。

ワトソンは実際に、何度もDNAの結晶化を試みましたが、回折実験に使えるような質の高い結晶はなかなか作れませんでした。

結晶化には、きっと熟練の「匠の技」みたいなのが必要で、素人がちょっと聞きかじった知識と技術で簡単に出来るようなシロモノではなかったのでしょう。

 

その間、クリックはというと、X線の回折写真が出来上がったら「俺様が解析してやるぜっ!」とばかりに、ワトソンが出来のいい写真を持ってくるのをひたすら待つというありさま。

「俺様キャラ」のクリック自身が結晶作りに汗を流すということはしなかったようですな~。

 

ケンドルーやペルツも、ワトソンに有益なアドバイスはしますが、結局はワトソン本人が自力で結晶を作るしかありませんでした。

それはそうです。ケンドルーにしてもペルツにしても、ノーベル賞級の困難な仕事を抱えていたのですからね。

 

キャベンディッシュに来る以前、ワトソンは、イタリアの学会でDNA結晶のX線回折の研究成果についての発表を聞いたことがありました。。

淡々と話す彼の発表内容は他の誰よりも群を抜いて素晴らしく、スクリーンに映し出されたX線回折の写真も、これまでに見たことがないほど鮮明なものでした。

 

ワトソンは彼を捕まえて話をする機会を得、一緒にDNAの研究がしたいと思うほどに惚れ込んでしまったのでした。

しかし彼は、ワトソンとの食事が終わると、「もう行かなくては」と別れの言葉を残して、そそくさとホテルに帰って行きました。

ワトソンの想いは彼には届かず、片想いの悲恋に終わったのです。

この人物こそ後年、ワトソン、クリックとノーベル賞を共同受賞することになるキングス・カレッジ・ロンドンのモーリス・ウィルキンスその人だったのです。

 

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Maurice Hugh Frederick Wilkins(1916年12月15日~2004年10月5日)

 

4.ウィルキンスの悩み

 

ワトソンにとって幸運だったのは、ウィルキンスとクッリクは、もともと同じ物理学者で、お互いにDNAに関心があり、汽車でわずか2時間の距離のキングス・カレッジ・ロンドンとキャベンディッシュにいるという共通項の多さから旧交があったのです。

そんな訳で、ワトソンはクリックと共に、時には一人でしばしばキングス・カレッジのウィルキンスを尋ねるようになりました。

 

そんなある日、ウィルキンスがキャベンディッシュにやって来たときのこと。

ひと通りDNAについての意見交換をした後に、ウィルキンスは二人に赤裸々に自分の悩みについて話し始めました。

今、彼の頭の中は、ある女性のことで占められていて、仕事も手につかないといいます。

でもそれは、その女性に恋したなどという艶(つや)やかな話ではありませんでした。

彼が助手として雇った女性研究者が非協力的というか、ボスである自分に反抗的で、彼女のデータすら見せてくれないというのです。

なので、彼女の仕事がどこまで進んでいるのか、皆目分からないと言います。

ただでさえ研究がうまく進んでいないというのに、彼女との人間関係にホトホト憔悴しきっている、かわいそうなウィルキンスなのでした。

 

その女性研究者、ロザリンド(ロージィ)・フランクリンは、結晶作りとX線回折写真の技術が抜群で、その腕を買ってウィルキンスは彼女を助手として採用したのでした。

もちろん、DNAの構造解析の仕事を加速するためです。

 

当時の科学界は男性社会で、どんなに優秀でも、女性を一人前の研究者と認めない風潮があったようです。

ロージィはとても才気ばしった性格で、独立心と自意識が旺盛で、そのために博士号も取得している自分を助手としてしか扱わないウィルキンスに反発していたようでした。

 

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Rosalind Elsie Franklin(1920年7月25日~1958年4月16日)

 

後日のこと、ワトソンがウィルキンスの研究室でロージィと対峙!

「DNAはらせん構造だ!」と主張するワトソンと、「らせんを示す証拠などない!」と言い張るロージィとが口論になり、感情の高ぶったロージィがワトソンの鼻先に詰め寄ると言う事態が勃発!

なんと無謀にもジミー坊やは、いくつも歳上のおプライドの高いお姉さまに、「もう少しお利口だったら、DNAがらせんだと言うことくらい理解できるだろう!」的なことを口走ってしまったのです。(怖)

そら、怒るわな。。。

彼女のあまりの剣幕に気圧(けお)されたワトソンは、ほうほうの体(てい)で部屋から逃げ出し、廊下でウィルキンスと鉢合わせ。

そのとき、ワトソンはウィルキンスに言いました。「モーリス、今やっと君の気持ちが分かったよ」

 

ワトソンは著書の中で、ロージィが自己制御の出来ないヒステリックな女性であったかのように描写しています。

誤解のないように言っておきますが、ワトソンが描写したロージィ像は、当時の若きアメリカ人青年ジムが受けた彼女に対する率直な印象に過ぎないと言うことです。

そのことは、ワトソン自身が認めています。また、彼女が優れた科学者であったことも。そして、結構いいナオンだったことも。

しかしながら、世界的ベストセラーとなった高名なワトソンの著書のために、ロージィの人柄に対する誤解が世界中に広まったと、彼女の死後、その名誉を回復しようとする人たちが著書を出し、生前のロージィの真の姿を伝えています。

 

5.決め手になったデータは盗んだもの!?

 

そんなある日、ワトソンはウィルキンスから呼び出されました。是非、見せたいものがあると言います。

ウィルキンスは、ワトソンに一枚のX線回折写真の写しを見せました。

なんとそれは、ウィルキンスがロージィの留守中に、彼女が撮影したDNA結晶のX線回折写真をこっそり持ち出し、コピーを取ったものだというではあ~~りませんかっ!(そんなん、ありか!?)

 

明らかなる不正!!

高名なるノーベル賞受賞者のワトソンが、過去に自ら不正をした事実を、なんと自身の著書の中で臆面もなく告白しているのですよ!!

それも、ノーベル賞受賞対象の偉大な業績に直接関わる不正なのですよッ!!

(この件については、後にロージィとの間で和解したようです)

 

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あまりにも有名なフランクリンが撮影したB型DNA結晶のX線回折写真(こいつを盗んだ!)

 

どうどうどう。

気持ちを落ち着かせて、話を元に戻しましょう。

その写真の回折パターン(上図)を見せられて、さすがのワトソンもらせんを確信しました。

彼は、帰りの汽車の中で、昼間見た写真の回折パターンを、記憶に頼って新聞の切れはしに模写していました。

この模写から、DNAのより正確な構造を予測するには、賢人クリックの頭脳が頼りです。

 

そして今、クリックが長いあいだ待ち望んでいたものが、まさに彼の目の前にあります。

彼は、その新聞の切れはしを見て、彼が一番知りたかったこと、すなわちDNAの塩基のハシゴの間隔とらせんの直径をザッと計算したのです。

これから、DNAのらせんが、どれくらいの間隔でひと巻きしているのかが分かります。

そして、計算から予測された直径にDNAの三つのパーツであるリン酸と糖と塩基を規則正しく収納させなければならないという、絶対条件も分かりました。

これらは、とんでもなく重要な情報で、DNAの構造決定に向けて、二人に大きな前進をもたらしたのです。

 

となると、彼らが次にやるべきことは何か?

それは、「らせん」であることを大前提として、DNAが取り得る構造の分子模型を作ることだったのです。

それも、二本のDNA鎖が互いにねじれ合った「二重らせん構造」です。

 

なぜ二重かって? ワトソンの直感です。

理論家のクリックは、「理論上は三重らせんも四重らせんもあり得る」と言いましたが、ワトソンは、陰と陽、プラスとマイナス、オスとメス、生物を含めて自然はあらゆるものが「対」になっており、シンプルなはずだと考えたのです。

そして、その彼の直感は、見事彼らを勝利に導いたのでした。

 

6.果てしのない模型いじり

 

DNAが糖、リン酸、塩基の3つの部品から出来ていることは分かっていました。

これら3つの部品の構造もです。

DNAが、これら3つのパーツのいずれかの組合せでできていることは明らかで、その無限とも思える組合せの中から、二重らせんを見事に形作る唯一の構造を見つけ出すことができれば、彼らの頭上に栄冠が輝きます。

 

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DNAの3つの部品。糖(S)、リン酸(P)、塩基(G、A、T、C)の構造

 

ワトソンたちは、この3つのパーツのブリキ製の模型をたくさん作ったのです。

大学内の工作室に発注したのですが、ワトソンの設計図どおりに手作業でブリキ板を切り出し、ハリガネをねじ曲げ、ハンダ付けしたりするのですから、納品にはそれなりに時間がかかります。

ブリキのパーツが出来上がるまでの間、彼らが何もせず手をこまねいていたのかと言うと、そうではありません。

ワトソン自ら厚紙を切り抜いて、糖、リン酸、塩基のパーツを作って、どう組み合わせたら二重らせん構造に収まるか、ああでもない、こうでもないと、日がな一日パーツを組み合わせるという模型いじりに興じたのです。

(模型いじり? これが世紀の大発見をもたらした「科学」なんすかね?)

 

「これだッ!」というパーツの組合せが出来上がるたびに、ワトソンはクリックを呼びつけます。

クリックは、ワトソンが組み立てた模型の前で険しい顔をして腕を組み、ときおり模型の分子間の距離を定規で測ったりしています。

その様子を不安そうな面持ちで見守るワトソン。

そして、そのたびにクリックからダメ出しされるのがオチでした。

「この構造は、熱力学的にあり得ない」とか、なんとかかんとか、ってな具合ですな。

 

ロージィの写真の模写を見る、ずっと前。そう一年以上も前のこと。

彼らは、十分なデータがない状態で、すでに模型作りを始めていました。

ある日、クリックも「これならいいだろう」とワトソンにOKを出して、さあ、いよいよ模型をお披露目だと言うことで、ウィルキンスやロージィに見てもらったことがありました。

ウィルキンスは無表情。

その彼の表情を、不安そうにのぞき込むワトソンとクリック。

一方、ロージィの眼が見開かれました。

「なんなのこれは! こんなのがDNAであるはずないじゃないっ!!」

キャベンディッシュくんだりまでやって来て無駄骨だったとばかりに、毒まき散らして(笑)帰って行ったとさ。

 

この一件以来、クリックは慎重になりました。

この時の二人の失策は、所長のブラッグ卿の耳にも入るところとなり、卿を小おどりさせることとなりました。

卿は日頃、30代半ばにもなるというのに、まだ博士号すら取れない輩が天才づらして何にでも首を突っ込み、研究所中をかき回した挙句に何の成果ももたらしたことのないクリックを苦々しく思っていたのです。

クリックには、DNAなんてものに熱を上げないで、まずは博士号を取るための本来の研究テーマに集中して欲しい。これはブラッグ卿の親心でもありました。

一方のクリックにしてみれば、DNAが何の頭文字かも知らない前時代の遺物のような老人に、これ以上、自分にDNAの仕事をやめさせるための口実を与える訳にはいきません。

 

クリックは、少しでも疑念のあるモデルについては、納得いくまで検証しました。

しかし、100%の確信を持って「これだ!」と言えるものは見つけることができません。

 

7.そしてノーベル賞

 

こんなことを無為に繰り返していたある日、偶然にもワトソンは決定的なヒントを得ます。

これこそが、模型いじりから彼らをノーベル賞に導いた極めつけの情報でした!

 

ワトソンからDNAの模型を見てくれてと頼まれた化学者、ジェリー・ドナヒューが、ワトソンの塩基の模型の構造が間違っていると指摘したのです。

「ええっ!? 化学の教科書に載ってる通りに模型を作ったんやでッ!」

「だ、か、らぁ、教科書に載っている塩基の構造が、ほとんど全部間違ってるんだよねー。うんうん、知らないの君?」

「な、な、なんやとぅ? 教科書が間違ってるなんて思いもせえへんかったど!なんじゃそりゃあ〜!」

それが本当だとして、じゃぁ、なんでこの男だけがそのことを知っているんだ? こいつが教科書が間違ているって証拠を持っているってのかよ??

ドナヒューは、実際のDNA分子の中で、塩基が教科書に載っているような構造を取りえないことと、その理由について説明しました。

これは最近分かったことなので、多くの化学者がまだ知らないし、修正されていない古い教科書は全部間違っているのだと。。。

 

つまり、間違った構造の模型をいくらいじくり回しても、正しい答えにたどり着けるはずもなかった訳です。

化学の落第生、ワトソン君の面目躍如!

ワトソンは、化学の専門知識がなかったために、何日もの時間をムダに浪費したのでした。

否、クリックも知らなかったわけですから、仕方ありません。

 

彼はさっそく、ドナヒューが正しいと教えてくれた構造の塩基の模型を厚紙で作り、また、ああでもない、こうでもないと、模型いじりを再開しました。

それはまるで、幼児のブロック遊びと同じに見えました。

そしてついに、ワトソンの頭にビビッと来るものがありました。

あの有名な二重らせん構造の組合せに出くわしたのです。

 

塩基のGとC、AとTが向かい合って対を作ることで必然的に二重らせん構造になる。

これは全てがシックリくる!

これまでに知られているあらゆるDNAの性質とも矛盾しない。

つねにGとC、AとTの数が同じと言う「シャルガフの経験則」も完璧に説明できる!

親細胞の遺伝情報をどうやって正確に複製して、分裂後の娘細胞に受け継がせることができるのかも!!

そして何よりも、ロージィの回折写真と矛盾しない!

 

しかし、ワトソンはそれでも不安でした。

ドナヒューに自分の思いつきについて話し、何か不都合があるかと尋ねました。

彼が「いや、大丈夫だ」と答えたときには、天にも登る心地がしました。

ついに自分は、生命の造形物の姿を見出したのだと!

 

今までのモデルはどれも、自分でも「ちょっと無理があるな」と感じるものばかりでした。

そして、そのようなものは決まってクリックからダメ出しを食らって、あるものは瞬殺されてきたのでした。

しかし、今度のは違う! ワトソンには確信に近いものがありました。

 

さっそく、クリックを呼びつけます。急いで来いと。

今度はワトソンも自信満々!

しかし、相変わらずクリックは苦虫噛み殺した顔で模型のあちらこちらに定規を当てたりしています。

その様子を見て、またもや不安に駆られるワトソン。

わずかな時間が、永遠に続くかとすら思うほど、長く感じられます。

やはり、今度も自分は間違っているのか!?

その時、クリックの表情がゆるみました。そして、感情が爆発しました。

「やったなジム!ついにやったんだーッ!!」

 

今、二人の目の前には、厚紙ではなく、精密に作られたブリキ製のパーツからなる精緻な二重らせん構造の模型が威風堂々、誇らしげにその姿をさらしています。

 

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二重らせん構造の模型とJames Dewey Watson(1928年4月6日~)(左)、Francis Harry Compton Crick(1916年6月8日~2004年7月28日)(右) 相変わらずクリックは定規を手にしていますね(笑)計算尺かな?

 

全てが完璧! 全てが理論通りの数値に当てはまる!

 

ウィルキンスがやって来て、「おめでとう」と祝福してくれました。

ワトソンとクリックは、ロージィにも来て見てくれるように頼みました。

今度こそ彼女を屈服させ、「ざま見ろ」と言ってやりたい心境だったのでしょうか?

否、彼女に見てもらうことこそ試金石!

 

ロージィは険しい顔で模型を凝視しています。

この時は、さすがのクリックも胃の腑が締めつけられるような思いで彼女を見つめます。

そしてついに、ロージィの口が開かれました。

「こんなに美しいものが、間違いであるはずがないわ」

 

目の前にあるそのモデルは、生命がこれほどまでにシンプルで美に溢れたものかと、万人にため息をつかせるほどの完璧な調和を表現していたのです。

 

8.ロージィとウィルキンスとノーベル賞

 

その後、ワトソンはアメリカに帰国しました。

キャベンディッシュに残ったクリックは、ロージィと親交を深めました。

ロージィはクリックに、よく仕事上のアドバイスを求めたようです。

二人は互いに認め合うよき友人になっていました。

やがてロージィは体調不良を訴えます。

卵巣がんに侵されていたのです。

1958年、37歳の若さで逝ってしまいました。

 

ノーベル賞は故人には授与されません。

その代わり、といってはウィルキンスには失礼ですが、彼はワトソン、クリックと共に1962年にノーベル生理学・医学賞を受賞したのです。

 

takyamamoto.hatenablog.com

珍事! 故人にノーベル賞授与!

 

ロージィは、DNAの仕事の他にもタバコモザイクウイルスの構造決定など、結晶化学者として傑出した業績を残しています。

彼女が優秀な科学者であったことは疑いようもありません。ワトソンもそのことは認めています。

彼女は一人前のひとりの科学者として認めてもらいたかっただけなのです。

自分の業績を正当に評価してもらいたかった。。。

ですが、当時の社会の女性に対する不当な扱いの前に、高い知性と自尊心を備えた彼女は男性社会との苦闘の路を選んだのでしょう。

 

一方のウィルキンスはと言うと、ワトソンの著書では、ロージィのことに頭を悩ます内向的で神経質で慎重な研究者のイメージです。

しかしながら、当初、ワトソンはウィルキンスの知性の高さと落ち着いた物腰に惚れ込み、彼と仕事をすることを切望するほど、非常にいい印象を持っていたのも事実です。

ロージィと同様、ワトソンの著書で描かれたウィルキンス像もまた、若きアメリカ人青年ジムが受けた印象に過ぎなかったわけです。

 

二重らせん構造発見の話題になるたびに、ワトソンとクリックが並び称されるのに対して、ウィルキンスのことが取り上げられることは、ほとんどありません。

これは、良くも悪くもエキセントリックなワトソンとクリックのキャラクターに対して、ワトソンの著書によって固定化されたウィルキンスの地味なイメージのせいなのでしょうか?

実際にも、ウィルキンスは高い知性を備えた優秀な科学者だったとワトソンも書いている一方で、クリックからすれば、ウィルキンスはDNAに賭ける情熱も自分たちほど熱くなく、「金の卵を手にしていながら、何をぐずぐずしているんだ!」と蹴りを入れたくなるような、おっとりな性格だったようですね。

 

9.誰か一人が欠けても100年に一度の大発見はなかった!

 

  • 自分達ではDNA結晶のX線回折データを取得できなかったワトソンとクリック
  • 高品質の回折写真を撮りながら、DNAがらせん構造だと思い至らなかったロージィ
  • 不正にコピーしたロージィの写真をワトソンに見せたウィルキンス
  • 新聞の切れはしから、DNAのらせん構造の詳細を知ったクリック
  • らせんは二重構造だと直感したワトソン
  • 化学の教科書が間違っていることをワトソンに教えたドナヒュー

 

科学の進歩は、ひとりの人間の抜群な頭脳さえあれば良いと言うものではないのですね。

ロージィの腕、ワトソンの直観力、クリックの頭脳、ウィルキンスの確信犯的行動(笑)。そして、たまたま居合わせたドナヒューの見識。

その他の些末にも思えるような人々の営みと出来事。

これら一つひとつのことは一見別々の事象のようで、実は点と点を結ぶ一本の線。つながった結果の偉業だったのです。

この点と線のどれか一つでも欠けていれば、この偉業はなかったでしょう。

 

その中で、ロージィとウィルキンスの人間関係は不幸でしたが、ロージィの貢献が素晴らしかったことは疑いようもありません。

私を含めた多くの人が、ロージィが存命だったらノーベル賞を受賞しただろうと考えてしまうのです。

そういう意味で、ウィルキンスはもっとも不遇なノーベル賞受賞者かもしれません。

しかし、彼が誰よりもいち早くDNAの結晶解析に着手し、その仕事を進めるためにロージィを雇い、その結果がノーベル賞につながったことも、また真実なのです。

 

 

今回も最後までお読み下さり、ありがとう御座います。

 

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