目次:
1.ある夜の出来事
2.逆転の発想!
3.DNAそのものをコピーして増やす!!
4.PCR法の原理
5.シータス社の技術者たちの苦闘!
6.ノーベル賞は誰のものか?
7.PCR法初体験の私の感動物語
8.PCR法がもたらした革命!
9.「それでは、もうひとつ大発見ができますね」美智子様の粋なお言葉
生命科学のみならず、様々な分野で革命を起こした遺伝子増幅技術「PCR法」!
その誕生秘話と人々の悲喜こもごもについてお話しします。
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1.ある夜の出来事
1983年4月のある金曜の夜、アメリカのバイオテック企業「シータス社」の上席研究員キャリー・マリス博士は、助手席にガールフレンドを乗せて車を走らせていました。
その時、彼の頭の中を占めていたのは、隣にいる魅惑的なジェニファーのことではなく、この数年もの間、彼を悩ませ続けてきたあることだったのです。
Dr. Kary Banks Mullis(1944年 12月28日 - 2019年 8月7日)
当時、シータス社では、画期的な遺伝子検査技術の開発に取り組んでいました。
「鎌状赤血球症」は、ヘモグロビン遺伝子のたった一個のDNA塩基の変異によって起こります。
異常なヘモグロビンにより、赤血球はそれこそ「鎌」の刃のようにねじ曲がった形をしており、重篤な溶血(赤血球が壊れること)性貧血症状を呈します。
しかし一方で、鎌状赤血球症の人はマラリア感染に高い抵抗性を示すのです。
ですから、私達アジア人やヨーロッパ人には少ないのですが、アフリカや中東、南アジアの一部地域など、マラリアが多く発生する地域に多く分布しています。
この鎌状赤血球症の遺伝子診断が可能になれば、遺伝子変異による他の多くの病気も、遺伝子レベルでの診断が可能になるのです。
医療の発展に寄与するとともに、会社に莫大な利益をもたらすことは疑いようもありません。
このゲノム上のわずかなDNAの差異を如何にして高い精度で検出するか。
当時のシータスの研究者達は、この難題に挑んでいたのです。
そして、マリスはこのとき、決定的な解決方法を思いついたのでした。
それはまるで、天から舞い降りてきたかのように!
2.逆転の発想!
当時の技術で、わずかなDNAの差異を感度よく検出する方法はこうです。
DNAのわずかな差異を見つけることは、そう難しくありません。
過去ブログでお話したとおり、DNAやRNAは特定の配列と結合する能力があり、変異のあるDNA配列に結合する短いDNA鎖を探査プローブとして使うのです。
その辺の原理については、以下の過去ブログで説明しています。
問題は、変異部位に結合したプローブを検出する感度です。
当時、最も高感度な方法は放射性同位元素を用いることでした。
プローブにあらかじめ同位元素を標識しておくことは難しくありません。
検体のDNAに結合した同位元素標識プローブは放射線を発します。
この放射線がX線フィルムを感光させ、フィルムの上に黒いシミ(以後「バンド」と呼びます)となって現れるのです。
ところが、この方法でも感度は十分ではありませんでした。
検体のDNAの絶対量が足りないのです。
患者の血液検体から、可能な限り多量のDNAをかき集めて、何日も何週間もフィルムを感光させても、あるのかないのか、わずかな薄いバンドしか得られません。
何週間もかかっていては、とても実用的な検査方法とは言えません。
DNA量が少ないほどX線フィルムを感光させて出現するバンドは薄くなり、一定量以下では検出できなくなる
どうすれば、もっと検出感度を上げられるのか??
シータスの研究者たちは、検出技術の感度を上げることばかりを考えていたのです。
ところが、マリスの発想は、それとはまったく別のものでした。
3.DNAそのものをコピーして増やす!!
当時、シータス社で遺伝子検査技術の開発を行っていた研究員の多くが分子生物学者でした。
分子生物学とは、遺伝子やタンパク質の構造や機能を研究する学問であり、分子生物学者は遺伝子、すなわちDNAやRNAを解析する技術に習熟した者ばかりです。
一方、マリスはと言うと、化学者でした。厳密に言うと、核酸の合成化学者だったのです。
マリスはむしろ、遺伝子解析技術に精通した分子生物学者でなかったことが幸いして、解析技術の感度の向上だけに執着せずに済んだのでしょう。
60億塩基対もあるヒトのゲノムのうち、わずか一塩基の違いを検出する技術。
塩基が60億個も入ったコップの中の、たった1個しかない差異を見つけ出すには、それはもう大変な高感度が必要です。
でも、確かめたいのは、ヘモグロビン遺伝子のごく一部の領域であり、ゲノムのそれ以外の大部分はジャマなだけの存在であって、はっきり言ってみれば、ゴミ以外の何ものでもありません。
だったら、この目的の遺伝子領域だけをコピーを繰り返して増やし、そのコピーでコップを満たしてやれば、解析するのにそれほどの高感度は必要ないはずです。
従来の技術でも十分に検出できるでしょう。
検出技術の感度を上げることしか頭になかった他の研究者と違い、マリスは検体であるDNAそのものを増幅することと、その基本原理を思いついたのです。
この技術は「PCR(polymerase chain reaction;DNA合成酵素連鎖反応)法」と呼ばれ、マリスはこの業績により、1993年にノーベル化学賞を単独受賞しました。
4.PCR法の原理
写真のネガフィルムからポジ写真が、ポジからもネガをコピーできます。
これを無限に繰り返せば、1組のネガとポジから2組のネガとポジが、2組から4組、4組から8組、8組から・・・と言う具合に、倍々でいくらでもコピーを増やすことができます。
二本鎖のDNAも、それぞれの配列が互いに写しになっており、片方からもう一方がコピーされ、またその逆も然りです。
このDNAのコピーは、私たちの細胞が分裂するときには、当たり前のように起きていることです。
それと同じことを試験管の中でやればいいだけなのです。
「やればいいだけ」と言っても、後で述べる通り、それはかなりの修羅の道ではあったのですが。。。
DNAのコピーは、細胞内で起きているのと同じく、DNA合成酵素を使って行います。
このコピー作業を試験管の中で繰り返せば、同一の短いDNAの断片を、理屈では無限に増やすことができるのです。
5.シータス社の技術者たちの苦闘!
PCR法の発想を得たマリス。このアイデアを得意満面に上司に説明します。
そのアイデアの合理性を理解した賢明なる彼の上司は、これを実験で検証するため、開発チームのメンバーを選定しました。
ところがマリスは、これを拒否。なんと自分ひとりでやって見せると言い放ったのです。
うまくいけば世紀の大発明間違いなし!
うがった見方では、彼は偉大な発明者の栄誉を他人に渡したくなかったのかも知れません。
ところが、事はそう簡単ではありませんでした。
DNA合成酵素により、試験管内でDNAのコピーを繰り返して、それこそ1個のDNAを無限に増幅するPCR法の原理は、完全に分子生物学の知見を必要とするものでした。
ところが、分子生物学の素養のない化け学屋のマリス。
何ヶ月経っても、いいデータは出てきません。
シータスの分子生物学者たちは苛立ちました。
「自分達なら、たちどころにやって見せるのに!」と。
そしてついに、マリスの上司も堪忍袋の緒が切れ、分子生物学のリサーチ・アソシエイツからなるPCR検証チームを立ち上げたのです。
リサーチ・アソシエイツというのは、日本で言うテクニシャンに当たるでしょうか。
博士号は持っていなくて、上司や指導者、リーダーのもとで、ことさら実際に手を動かして実験データを取得することが求められている人たちです。
なかには、ただ言われたとおりに実験するだけではなく、自分で考え、実験方法を企画・提案できる人や、また、凄く実験の腕のいい人など、優秀な人も多くいます。
今でこそ、PCR反応は完全に自動化されていますが、当時、この原理を検証するための手作業は非常に煩雑で、大変な労力と時間を要するものでした。
そして、忍耐強く、献身的なメンバー達の働きによって、ついにPCR法の原理の妥当性が立証されたのです。
このPCR法に関する最初の論文は、「Science」誌に掲載されました。
1985年12月のことです。
PCR法の最初の論文
6.ノーベル賞は誰のものか?
PCR法の検証チームの中で、最も重要な役割を果たしたのは、Scienceの論文の筆頭著者であるリサーチ・アソシエイツのランドール・サイキです。
マリスがノーベル賞を単独受賞したとき、サイキをはじめ、PCR法の確立に貢献したシータスの人たちは、ノーベル賞選考委員会に強く反発の意を示しました。
マリスはアイデアを思いついただけで、何もしていない。自分達がいなければPCR法はなかったと。
伝統的にノーベル賞の受賞者選考に当たっては、最初の発案・着想が重要視される傾向にあるようです。
自身で、その発想が正しいことを証明したかどうかは、さして重要ではないようですね。
ウイルス発がん説を発表してからノーベル賞受賞まで55年もかかったラウス。
彼自身は、その説の正しさを証明出来ませんでした。
そして、50年後にそれを証明したのはアメリカのテミンでした。
そのテミンは後に、クリックの「セントラル・ドグマ(中心教義)」を根底から覆す大発見をし、ノーベル生理学・医学賞を受賞します。
テミンの説を実証した実験を行ったのは、日本人研究者の水谷哲さんでした。
しかし、水谷さんは受賞には至りませんでした。
2002年にノーベル化学賞を受賞し、「サラリーマン受賞者」として一躍時の人となった島津製作所の田中耕一さん。
質量分析技術の開発への貢献での受賞でしたが、実は田中さん、世界的には、その分野でほとんど無名でした。
国際的な論文や海外の学会で、あまり積極的に発表をしていなかったからです。
ですので、田中さん自身も受賞を知らされたとき、まさかノーベル賞だとは思わず、「ノーベル賞に似た、なんか別の賞」だと思ったくらいなのでした。
この業績でノーベル賞を有力視されていた他の研究者達ではなく、「なぜタナカなのか?」
当時、多くの疑問の声が上がったといいます。
実は、有力視されていた研究者達の論文発表よりも前に、田中さんが日本国内の学会でブレークスルー的な研究成果を発表しており、ノーベル賞選考委員会は、賢明にもこれを見逃さなかったのです。
「着想はタナカの方が早かった」と言うわけですね。
7.PCR法初体験の私の感動物語
私が始めてPCR法を行ったときの驚きと感動は、今でもリアルに覚えています。
1990年のことです。
DNAの解析をするには、大量のDNAサンプルが必要です。
目的のDNAを増やすのに、大腸菌を培養し、大量の大腸菌を酵素や有機溶剤で溶かして、タンパク質や脂質などの邪魔者を除き、一晩超遠心機にかけて、比重で高純度のDNAだけを分離し、手袋をしているとは言え、発がん性のある試薬にまみれながら根気の要る作業を何日も続けるのです。
発がん性物質で汚染された注射針を誤って自分の指に刺したときなんか、死ぬんじゃないかと思いましたよ。(笑)
ところが、PCR法では、その作業は1日で終わります。
少量のDNAが含まれているサンプルに試薬を加え、その試験管を装置にセットして「チチンプイプイ」とおまじないをかけて数時間待つだけ。
電気泳動のゲルに、そこにあるはずのないDNAのバンドが現れたときには、まるで魔法を見ているようで、驚き、感動しました。
(PCR増幅されたDNAのサイズで移動度が変わる)
一度PCRを使うと、もう手放せない。
工夫次第で、それまで出来なかった色々なことが出来るではありませんか!
すっかりPCR法に取り憑かれてしまい、汎用性の極めて高いPCR法の可能性を追究した末、ついに「PCR使い」を自認するようになっていました。
8.PCR法がもたらした革命!
人類がPCR法を手にしていなければ、ヒトの全ゲノム配列を決定する「ヒトゲノム計画」など到底あり得なかったでしょう!
今日では、医学や生命科学のみならず、様々な分野で広く活用されており、それぞれの分野で革命的進歩をもたらしています。
農業(品種同定、品種改良)、犯罪捜査(犯人や被害者の同定)、法医学、親子鑑定、考古学、文化人類学などなど。。。
よく知られたところでは、クリントン大統領の不倫スキャンダル。
モニカ嬢のスカートに付着したクリントンさんの体液(なんで「精液」と正しく報道しないのかね?)から、個人を特定できる遺伝子領域を増幅して遺伝子型を解析。
その検査結果により、大統領のものと断定されたのですね。
太古の昔に琥珀に閉じ込められた「蚊」が吸った血液から恐竜のDNAを取り出し、現代に蘇らせる。
PCR法がなかったら、マイケル・クライトンも、こんな発想には至らなかったでしょう。
DNAはかなり安定な化学物質です。
乾燥してカピカピになったスカートの精液からでも、なんと考古学では数百万年前の類人猿の骨からでも、わずかなDNAを頼りにしてPCR法で増幅することが可能です。
数千万年前の蚊から恐竜のDNAを増幅することも、あながち荒唐無稽なこととは言えないのです。
9.「それでは、もうひとつ大発見ができますね」美智子様の粋なお言葉
マリスが1992年に日本国際賞を受賞して来日し、祝賀パーティーに出席したときのお話。
その席で皇后陛下がマリスにお声をかけられたそうです。
皇后様は、マリスがPCR法の原理を思いついた時のエピソードをご存知で、それで、彼に同伴する女性に目を移されて、「この方がその女性ですか?」とお尋ねになりました。
マリスの答えは、「いえ、彼女は違います」
ガ~~~~~ン! それはアカンやろ❗️
美智子様ともあろうお方が、なんたる失態!
周囲の一同が凍りついたことは想像に難くありません。
しかし、すかさず美智子様はこう返されたのです。
「それでは、もうひとつ大発見ができますね」
なんたるウィットにあふれたお言葉!!
さすがは美智子様。
参考図書
今回も最後までお読み下さり、ありがとう御座います。
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