Dr.やまけんの【いつまでも健康に過ごすために大切なこと】

健康 病気 免疫 遺伝子 腸内細菌 がん 生活習慣病 感染症

路線変更第3弾【日本語ができない日本人】

目次:

1.エリート官僚も知らない「海千山千」の意味

2.「うがった意見」って悪い意見? それともいい意見?

3.アナウンサーの「あわやホームラン!」??

 

今回の【路線変更】は、か~~るい読み物になっています。

どうぞ、気楽にお読みください(笑)

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

タイトル読んでドキッとされた方います?

私は自分で書いておきながら、自分でドキッとしています。

 

1.エリート官僚も知らない「海千山千」の意味

 

あるネット記事で読んだ話です。

 

40年くらいも昔。アメリカで日米外相会談が行われたときの話だそうです。

会談の中で外務大臣の園田直さんが、「海千山千」という言葉を使ったそうです。

通訳していた外交官が、それを何と翻訳したか?

な、な、な、な、な(しつこい!)、なんと、「Sea thousand, mountain thousand」と訳したのだそうです(寒!)

(マジかっ! 直訳にもほどがあるやろっ!)

 

「海千山千」とは、デジタル大辞泉小学館)によると、「海に千年、山に千年住んだ蛇(じゃ)は竜(りゅう)になるという言い伝えから、世間の経験を多く積み、物事の裏表を知り抜いていて悪賢いこと。また、そのような人。したたか者」とあります。

「海千山千の強敵」なんて言いますね。

 

適切な英語にするのなら、「A sly old dog」とか「An old fox」だとかだそうです。

歳とった犬とか狐は「狡猾な食わせ物」という事なのですね。

プログレッシブ英和中辞典(小学館)では、「a person experienced in the ways of the world(「世の中の諸事情に精通した人」とでも訳せるでしょうか?)」と説明されています。

 

英語が抜群に堪能なはずの外交官。

日米外相会談なる国益のかかった非常に重要な場面で、なぜこのような失策を演じたのか?

この記事の著者は、実はこの外交官が「海千山千」の意味を知らなかったのではないか?と書いています。

その場で大臣に「どういう意味でしょうか?」と聞けばよかったのですが、抜群に頭のいい高級官僚のプライドが邪魔をしたのでしょうか?

「何を言っているんだ君は。そんなことも分からないのかっ?」と大臣から一喝されるのを恐れたのでしょうか?

 

当然、相手方のアメリカ政府高官は「???」となりますよね。

「何言ってんだ? こいつはバカか?」となりますよ。

結果的に、大臣に大恥をかかせるという大失態になってしまったそうです。

 

いくら英語ができようが、「日本語ができなければ正しく英語も使えない」と言うのが、この記事の結論でしたとさ。

 

2.「うがった意見」って悪い意見なの? それともいい意見なの?

 

「うがった」

これ、私は頻繁に使いますね。特に会議なんかでは意識して頻繁に使うようにしています。

なんでか?

 

どうも世間では、「うがった」について、二通りの意味で捉えられているようです。

「疑わしい」とか「怪しい」という悪い意味

そして、もうひとつが、「物事の本質を捉えている」といういい意味です。

間逆ですよね。

 

下のグラフは、「うがった見方をする」の意味について、「どちらの意味だと思うか?」という質問をしたアンケート結果です。

 

f:id:takyamamoto:20180410212417p:plain

 

いやぁ、どの年代でも、「物事の本質を捉えた」という「いい意味」は旗色悪いですね。そして、すべての年代を通して、あまり割合に差はありません。

 

一方、「疑わしい」という「悪い意味」の方は、どの年代でも高い支持率を得ていますが、古い言葉とかについて物知りだと思われる中高年(50歳代以上)で支持率低下がみられるのは注目ポイントですな~。これは興味深い!

ということは、「いい意味」が正解なのでしょうか?

でも、おもしろいことに、物知りなはずの中高年で「(どちらか)分からない」が支持率急上昇なのですね。

どういうこっちゃねん? ん!?

 

「うがつ」というのは「穿つ」と書きます。

「穿つ」とは「穴を開ける」の古風な表現新明解国語辞典第7版(三省堂)にはあります。

さらに、「人情の機微や事の真相などを的確に指摘する」とも。

 

「雨だれ、よく岩を穿つ」などと言います。

一滴一滴では力ない水滴も、絶えず続けて垂れていれば岩にすら穴をあけると言う意味です。これは「継続は力なり」という言葉に意味は似ています。

このことから、穿ったとは、物事を深掘りして、本質を捉えている様を表します。

 

一方で、「穿ち過ぎ」という言葉もあります。

これは物事の真相を掴もうと固執するあまり、逆に真実からかけ離れてしまうことを言うようです。

 

現代人の多くが、本来とは逆の意味で理解している原因として、この「穿ち過ぎ」との混同・誤用が広まったのではないかと指摘する人もいます。

まあ、単に「うがった」が「うたがった」に音が似ているから、多くの人が勝手に勘違いしてるだけという、誠にうがった見方が有力のようですが(笑)

 

という訳で、私が意識して穿ったと言う言葉を使うのは、本質を見抜く、その人の洞察力を賞賛する意図なのです。

でも、相手が「穿った」の本当の意味を知らなければ、逆に気を悪くするかもしれませんよね。

このアンケート結果を見て、考え込んでしまいましたよ。

う~~~ん、気を付けねば。

 

3.アナウンサーの「あわやホームラン!」??

 

「惜しい! あわやホームランと言う当たり! 打球にあとひと伸び足りませんでした」

日本語のプロであるアナウンサーでも、平気でこう言ってますね。

すべて民放です。少なくともNHKのアナウンサーで、このような使い方をした人を私は知りません。(あくまでも私個人の経験の範囲内での話ですよ)

 

「あわや」については、小学校の国語の教科書に、その意味と使い方について書かれていたのを読んで以来、ずっと私の頭の中に染み付いています。

 

「あわやホームラン」は、ピッチャーにとっては「あわや」ですが、バッターにとっては全然「あわや」じゃないのですね。

だって「あわや」は、「あわや大惨事」のように、好ましくない事態が幸運にも避けられたときに使う表現なのですから。

 

 

日本語は難しいです。

ブログを書くようになって、人様に読んでいただくからには恥ずかしい文章を書きたくないので勉強もし、できるだけ吟味しているつもりなのですが、全然できていないのでしょうなぁ。

 

できていなかったら、是非ともお叱りのコメントをお送り下さい。

なんのコメントないより喜びます(笑)

 

 

今回も最後までお読み下さり、ありがとう御座います。

 

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆彡

 

是非、お読みになったご意見やご感想、お叱りをコメントでお寄せ下さい。

大変励みになります。