Dr.やまけんの【いつまでも健康に過ごすために大切なこと】

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061の補足【免疫現象についての最古の記録!】

前回の【061】にて、人類が免疫現象を認識した最古の記録について触れ、詳しくは「こちらをご覧下さい」と、リンクを張りました。

このリンク、PCからはちゃんと見られるのですが、どうやらスマホからだと文字化けするようです。

でも、とても勉強になるいい文章なので、今回、コピペして補足とさせて頂きます。

 

そんな訳ですので、コピペしますこと、権利関係者の方々には、何卒ご容赦の程お願い致します。

 

この文章は、広島大学医学部の菅野雅元先生という方が書かれたもので、免疫現象に関する最古の記録に加えて、なぜ「Immunity(免疫)」というのか、その言葉の由来についてもお話されています。

そして最後には、【061】にて私が申し上げたかったこと、「一般に、免疫について誤解されている」と締めくくられています。

 

では、どうぞ。

 

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文 ・菅野 雅元

 

人類が認識した「免疫」の歴史


 一体、免疫という現象を、いつごろから人間は気がついていたのでしょうか。

少なくとも、紀元前五世紀のギリシャカルタゴの戦争の記述に、今でいう「免疫」ということが「二度なし」という言葉で書かれています。


 その当時カルタゴ軍がギリシャ植民地を次々と攻略していたが、特にシチリア島シラクサの攻防戦は二度にわたるものでありました。

はじめのカルタゴ軍とシラクサ防衛軍との戦いは熾烈をきわめたが、ペストが発生し、両軍とも大きなダメージを受けて、カルタゴ軍は撤退しました。

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 それから八年後、カルタゴは再びシラクサを攻撃してきました。

しかし、再び戦線にペストが流行したのです。このとき八年前のペストを経験し、生き残っていたシラクサ防衛軍はペストに対しほとんど無傷であったが、新しく部隊を編成したペストの経験のないカルタゴ軍は、八年前と同様大被害を被り敗退したのでした。


 このペスト流行の時期(紀元前五百年)はトゥキュディデス(ツキジデス)の「戦記」に記載されています。

この事実は十九世紀末の微生物学ルイ・パスツールによって「二度なし(non reidive)現象」として再発見されています。これが、いまのところ人類最初の「二度なし」の記述です。

 

 さらに時代は進んで、中世(例えば一三四〇年代後半)にもまたペストの大流行がヨーロッパを襲うことになります。

その当時のことが描かれている絵画の代表作の一つがピーター・ブリューゲルの「死の勝利」です。


 当時の教会にはヨハネ騎士団のように医療に従事し、慈善活動を行うキリスト教騎士団が病人の介護に活躍していたが、これらの人々の多くもペストの犠牲になったことは言うまでもありません。

しかし、その中で奇跡的に助かった僧侶やキリスト教騎士たちは、それ以後いくらペスト患者と接触しても二度とこの病に倒れることがなかったのです。


 これこそ神のご加護であると彼らが信じたのも無理からぬことでした。

この「神のご加護」を得た者に対してローマ法王が課役や課税を免除したことから im-munitas・(免除){つまり法王の課税(munitas)を免がれる(im-)という意味}という単語が用いられ、それが今日のImmunity(免疫)という言葉の語源になっています。


 しかし、この奇跡が神の力によるものではなく、生体の持つ免疫反応によるものであることが証明されるまでには、それから四百~六百年間待たなければなりません。

このような歴史的事実を踏まえれば、免疫系が、外敵から個体を守るための生体防御機構である、と一般に理解されていることも無理からぬことです。

 

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今回も最後までお読み頂き、ありがとう御座います。

 

 

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